龍馬伝と坂の上の雲を巡る四国旅行:愛媛編4日目:松山散策その2

明治時代の給料に驚いた前回からの続きで松山散策

まずは正宗寺の東にある法龍寺へ

法龍寺には子規が通っていた末広学校がありました
また正岡家の累代の墓地もありました(昭和2年、正宗寺に移動)

ここから少し東に行ったとこに子規の母と妹の律が住んでいた住居跡があります
(明治21年から25年まで居住)

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見てもらうと分かりますが道路の真ん中の分離帯に碑が設置してあるので
近くで見るのには渡らねばならずちょいと危ないですね~

まぁ碑には 正岡子規 母堂令妹住居跡 とあるだけですがw

さらに東に行くと子規旧邸跡があります

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こちらも道路の真ん中に・・・

こちらは子規が2歳から17歳まで住んだだけあって俳句を刻んだ碑があり
それとは別に旧邸跡を示す碑もありました

ここから北に行くと大原観山の住居跡があります

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こっちは説明板だけで何も無いに等しいですがw

観山は子規の母方の祖父で後に紹介する明教館の教授で後に私塾を開き
子規の教育もしています

更に北に進み途中西に曲がり夏目漱石ゆかりの旅館きどや跡へ

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坊ちゃんに出てくる山城屋のモデルで実際に漱石が宿泊しています

坂の上の雲では真之が帰省した際に宿泊しています(現実の真之が泊まったという記録はないようです)
(ちなみに秋山家の実家はすでに東京に移ってるのでここに泊まったという設定)

このあとどう移動したか覚えてないけど(汗)愚陀沸庵跡へ

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空襲で焼けてしまったのを萬翆荘に復元してるんですね

ここから東に向けてひた走り松山青少年センターへと来ました

ここにはお囲池(おかこいいけ)という水練場がありました

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坂の上の雲では真之が無作法な陸軍軍人を手ぬぐいでひっぱたいて
池に叩き落すシーンがありましたねw

このお囲池を示す物がどこにあるか分からず何周もして見つけられず
職員に聞いてもお囲池という言葉すら知らないらしく苦労しましたが
館内に上の写真のような説明板・・・というか何というか・・・な物が壁に貼ってありました

後で調べたところによると館外にちゃんと碑もあったらしいのですが見逃した模様です

北に移動し松山東高校へ

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ここの敷地内には明教館という藩の学校がありました(建物自体はまだ存在してます)

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幼少時に秋山好古も通っていたこの藩校はB29爆撃機 120機余りの空襲で松山旧市街と
すぐ隣りの本校舎が全焼したにも関わらず当時、中二だった防空要員の懸命な消火作業によって
現在も文化財としてその姿をとどめているそうです(イイハナシダナー)

ちなみに見学には予約が必要です
自分らは忘れたため 事務所で頼んで外観だけは見せてもらえました
予約してあれば中も見せて貰えるぽいですよ

さて・・・ホテルに戻り休憩&夕食後に松山城へやってきました

ライトアップヴァージョンを見るために!

時間も遅いのでロープウェイは当然動いてないので登山道を登りますが暗い・・・

携帯電話のライト機能を使い足元を照らしながら登りました

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苦労したけど来てよかった~

満足して下山しホテルに戻り就寝

松山は今日で終わりで明日は今治城へと向かいます

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